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2020年10月04日

宮古民謡との出会い

                                     嘉島里私宮古民謡研究所 岩田雅史

 今から8年前の平成24年に、12年ぶり2回目の沖縄勤務となりました。折角また沖縄に転勤してきたのだから、今度は沖縄の文化を堪能しよう。そう思って、転勤後に職場の人たちに何をしたらいいだろうかと相談しました。その時、沖縄出身の糸洲さんが、何人かでウェルカルチャースクールの嘉島先生の講座に通っているので、岩田さんもどうですか?と、誘ってくださいました。
早速通い始めて、順々に賞をいただき、さて教師免許受験まで、どう過ごそうかなと考えていた頃です。師匠の嘉島先生から、地謡の練習会に参加しないかとお誘いをいただきました。カルチャースクールでのお稽古のほかに、新しい曲を教えてもらえる機会が増えるという気持ちもあり、二つ返事で参加させていただきました。当時の私は、民謡は一人で個性を出し、情緒深く歌うものだと、勝手に考えていたために、練習会で楽譜を渡されても、どうやって情緒たっぷりに歌おうかとか、どう抑揚を出そうかしか考えていませんでした。そのため、いざ歌合せになったら、「岩田さん、そんなに長く伸ばさないで、声切り場所を守って!」「そこは、そんなに声を上げず、一定で!」とか、事あるごとに注意され、意気消沈する毎日でした。当然ですよね、まだまだ駆け出しの人間で、周りを見渡して、合わせるなんていう余裕などない時期ですから、邪魔になりこそすれ、戦力などには程遠い状態だったと思います。ましてや、歌の本来の意味を理解していないのですから・・・でも、そういう状態でありながら、お声をかけていただいた嘉島先生には、大変感謝しております。その恩義に応えるべく、歌の意味を調べ、どういう状況で歌われたのか、いろいろ考えながら、一生懸命練習しました。そして半年後に、早くも舞台の右袖に地謡として座らせていただく栄誉をいただきました。そこに至るまで、練習に練習を重ね、もうばっちりという状態でその時を迎えたにもかかわらず、いざ地謡席に座ると、何とも言えない緊張感で、声は上ずり、バチは全く弦に当たらず、散々な状態でした。それでも、終了後に初デビューおめでとうと、お祝いをしていただいたことを昨日のことのように覚えています。とってもほろ苦いデビューでしたが、宴会の席で酔いが回ってきたころに、先生から、「譜面ばかり見ずに、踊り手さんの手や足、顔の表情を見ながら弾かないといけないよ。また、地謡は、何人で弾いても、一人が謡っているように、声をそろえることも大事だよ。」と言われ、何で?と疑問に感じたことが、印象に残りました。その日は、夜遅くまで飲んでいたために、翌日にはすっかり忘れていたのですが・・・
 1回目の教師免許試験は、あえなく不合格。2年後まで受験できないので、琉球音楽に対するモチベーション維持の観点から、器楽合奏の際、とても興味を持った太鼓のお稽古にも、参加することにしました。太鼓は全く違った世界で、没個性・集団美を追求していました。構えから手の上げるタイミング・上げる高さ・叩き方、音は当然ですが、そこに至るまでの立ち居振る舞いが、全てそろっていなければいけません。没個性が苦手な私にとっては、これもまた試練で、タイミング良く、周りと調和しながら叩けるようになるまで、ずいぶん時間を要しました。客席から見ると、器楽合奏の太鼓は、横一列に並んでいるように見えますが、実際は、渡り鳥の雁の群れのV字編隊のように並んでいて、頂点に立つ人の動きに合わせて演奏するのです。ご存じでしたか?こういうところにも、リズムを合わせやすくする配慮がなされていました。
 ある時、講演会の器楽合奏の練習をする機会がありました。私は、まだまだ初心者なので、講演会には参加できませんでしたが、教室からは何人か参加することとなり、教室全体で練習することとなりました。教室の参加者は器楽合奏だけでしたが、先生方は、踊りの地謡の太鼓も担当されていました。先生方の練習を見ていた時に、ふと気づいたことがありました。先生方は、踊り手さんを、それも顔や手や足を見ているのです。恥ずかしかったですが、どうしてですかとお聞きしましたところ、踊り手さんの顔の向き、手の返し、足をたたく時に合わせて、太鼓をたたくのだよ、と・・・その時、嘉島先生の言葉が、頭の中を駆け巡りました。
一人でじっくり聴衆に聞かせるように歌うのも良いですが、聞いている人たちが、立って踊らずにはいられない、踊りたくて仕方なくなるような軽快さ、これも悪くありません。宮古民謡には、特にこの躍動感ある歌が多いように感じます。
これからは、嘉島先生の教えはもとより、師範・教師の先生方の弾き方、歌い方、そして立ち居振る舞いを勉強させていただこうと思っています。そして、一人で歌うときは、聴衆を魅入らせるように、複数で歌うときには、まるで一人が歌っているように、そして踊りの地謡の時は、踊り手さんが踊りやすくなるように心がけて弾きたいと思っています。何より、私が弾き始めたら、皆が立ち上がって踊りだすような、そんな弾き手を目指したいと思います。宮古民謡に出会えて、よかったです。沖縄の音楽は最高です。どっぷり浸かっている自分がいます。でも、本当に幸せです。もっともっと上手になりたいと思います。
これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

宮古民謡との出会い



事務局より:岩田さんは今年の2月の「教師試験」に合格され、教師・理事に成られました。


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Posted by 沖縄宮古民謡協会事務局 at 12:29│Comments(2)宮古民謡三線沖縄宮古民謡協会
この記事へのコメント
とても感動致しました。
色々と大変でしょうけれど
壁を乗り越えられ
大変嬉しく思っております。

これからも素晴らしい
ご活躍を心から応援しております。
Posted by chibana at 2020年12月11日 07:12
chibana様いつもありがとうございます。
この文を書かれた岩田さんはヤマトゥンチュである私も目標とする先輩です。
先輩のしっかりしたお考えやご苦労を読み、学ばせていただきました。
Posted by 沖縄宮古民謡協会事務局沖縄宮古民謡協会事務局 at 2020年12月14日 13:13
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